日本はゴールデンウィークと言われる大型連休期間中である。
コロナ禍であった2年分を取り戻すかのような街はマスクをつけた人で溢れ海外に旅行に行く人も増えた。
MLBの大谷の試合を見れば観客はほとんどマスクはしてないし、
コーチュラも満員状態で2年前の日常が海外は確実に戻ってきているなと。
同じウィルスでこの差はなんだろう。
日本ではいつになったらマスクを外して野球観戦、ライブが見れるようになるんですかね。
マスクのせいで顔の上半分だけしか見た事のない人も増えた。
もう良いんじゃないかと思いながら明日もマスクをして電車に乗ります。
日本はゴールデンウィークと言われる大型連休期間中である。
コロナ禍であった2年分を取り戻すかのような街はマスクをつけた人で溢れ海外に旅行に行く人も増えた。
MLBの大谷の試合を見れば観客はほとんどマスクはしてないし、
コーチュラも満員状態で2年前の日常が海外は確実に戻ってきているなと。
同じウィルスでこの差はなんだろう。
日本ではいつになったらマスクを外して野球観戦、ライブが見れるようになるんですかね。
マスクのせいで顔の上半分だけしか見た事のない人も増えた。
もう良いんじゃないかと思いながら明日もマスクをして電車に乗ります。
私の写真が悲しいと言う人もいる。
悲哀を感じさせるような社会の問題点が反映されているのかもしれません。
でも、私にとっては、アイディアの一部です。
Some people say my photos are sad.
Maybe they reflect the problems of our society that make them sad.
But for me, they are part of an idea.
前作の「愛情観察」から約3年経過しました。
私の心がけている「愛情観察」という観念は、常に変わらない定まった、可能な限りナチュラルな視点で、相手を観察することとしています。
この3年という時間、自分では何も変わらない視点で写真を撮っているつもりでした。しかしその期間に撮りためた写真群を抜粋し、こうやってまとめ振り返ってみると私の、そして私を取り巻くすべての要素が、当然ながら「無常」であることを肌で実感いたしました。この移ろいを自らの写真から感じることで、私はさらに今後の人生においてこの「愛情観察」を継続していこうと心に決めた次第です。
It has been almost three years since my last “LOOK OF LOVE”.
My conception of “LOOK OF LOVE” is to always observe others from a fixed, unchanging, and as natural a viewpoint as possible.
For the past three years, I thought I was taking pictures from the same perspective. However, when I look back on the photos I took during that period, I realized that I, and all the elements that surround me, are naturally “impermanent. By feeling this transition through my own photographs, I have made up my mind to continue this “observation of love” in my future life.
世の中には色々な愛や愛情表現の形が存在しているが、写真を撮り、相手は撮られる事で成り立つ両者の関係性は他のあらゆる愛情表現の形とも引けを取らないほどにユニークで完全、そして神秘的なものだ。
写真で結ばれたふたりはお互いの存在を確かめ合い、そしてまた各々の人生へと戻って行く。
以前とは少し異なった自己を内に秘めて。
There are many forms of love and affection in the world, but the relationship between two people, one taking photographs and the other being photographed, is as unique, complete, and mysterious as any other form of affection.
The two, united by the photograph, confirm each other’s existence, and then return to their own lives.
They return to their own lives, each with a slightly different self inside.
映画の世界では、もう無数の愛の物語が毎日のように生まれている。
ありきたりのラブストーリーも別に嫌いじゃないけど、私はやっぱ。危険な香りがする、『愛の向こう側』を描いた物語が気になってしまう。
これから紹介する五つの物語は、始まりから行き過ぎた愛を見せるどぎついものもあれば、気がついたら行き過ぎた愛に絡まってしまっているものもある。
人間はまともな皮を被っていても、誰もが変態とは紙一重。愛し過ぎて、愛し過ぎて、自分の知らなかった一面が顔を出さないとも限らない、だから愛は魔物なのだ。
悪い男
公開年:2001年
製作国:韓国
監督:キム・ギドク
チンピラの男ハンギが、一目惚れした女子大生ソナに恋をした。これは、愛する女を自分の生きる世界に沈めることでしか関わる事ができない、虚しい男の残酷な愛の物語。
相手をボロボロにして傷つけることでしか愛を伝えられないだなんて理解できない、いや、こんなの理解できるはずもない。
行き止まりに立たされた女は、追い込んだ男を憎むか、愛するしか道はない。
女の立場からしてみたら、ホント最後までけしからんお話なのですが、これ何となく分っちゃうかもって人どれくらいいるのかな?非常に興味あります。
ブルーベルベット
公開年:1986年
製作国:アメリカ
監督:デヴィッド・リンチ
ヘンテコな空き地に切り取られた耳。
それは、若い純朴すぎる青年にはあまりにディープすぎる別世界への入り口。
いつのまにか動き始めたトライアングルに本当の愛のかたちは見えなくて、それぞれが何か別の代用品を探している虚しさが浮遊していた。
独特できわどくて、エロティック。
適度な嫌悪感を与えながらも、引き込むような映像と音楽の強烈な印象で観客を掴んで離さない。
全てのバランスが絶妙に合わさって観る側の記憶にこびりつくような印象を残す実に独特な作品。
こんなディープな不思議の世界から目を覚ますにはしばし時間が必要かも?
私が、生きる肌
公開年:2011年
製作国:スペイン
監督:ペドロ・アルモドバル
インモラルで狂気に満ちたすごい映画。
愛する妻に裏切られ、娘からは拒絶され、挙げ句の果てに失うというあまりにも残酷な喪失感を埋める為の狂気がロベルを生かしている。
でもどんなに愛する者の顔とそっくりな肌をかぶせても、魂の本質は奪うことはできない。
マッドサイエンティストによるフェティシズム溢れた変態性のある映画という解釈ならばこれは、間違いなく気持ちの悪い映画なのだけど、
しっかりとしたミステリーサスペンスのプロットで、「愛の向こう側」の世界にそれなりに意味付けをしてくれる。
間違った愛の形は、虚しさが残るのみ。
それでも人は愚かにも異常な愛に溺れたがるのだ。
ノクターナルアニマルズ
公開年:2016年
製作国:アメリカ
監督:トム・フォード
静かな中にも不安感を煽るような緊張感のある作品で、とにかく映像美にもプロットにも細部までこだわった、映画らしい作品といった印象だった。
主人公スーザンの完璧なブルジョワの生活の中に、突然元夫エドワードから送られた小説の世界が入り込み、観ている私もスーザンとエドワードの深層世界を行き来する感覚に戸惑いつつも、グイグイとその物語に入り込んでしまう。
『愛か復讐か?』というテーマだが、私としては、これを一生残る心の痣になりそうなエドワードからのどぎついスーザンへの復讐だと感じてしまった。
愛の向こう側には愛ではなく憎しみだけになることもありえるのだ。
彼女がその名前を知らない鳥たち
公開年:2017年
製作国:日本
監督:白石和彌
醜く、下劣な男と、その男に養ってもらう嫌な女の織りなす最低で行き過ぎた愛のおはなし。
ここの登場人物ほどではなくても誰もがみんな下衆な裏の顔を持っていて、その裏の顔を使って平気で人を傷つける。
知りたくないけど、知らなきゃいけない人間のいやーな二面性目が白押しで、究極の愛のお話なのに逃げ出したくなるようなどぎつさがラストまでとめどない。
この映画で特に印象的なのはご飯のシーンで、出てくる食事ごどれもこれも不味そうで極めつけな十和子と陣治の家焼肉のシーンなんかはかなりゾッとした。
シーンとして切り取ればなんともない風景なのに、やっぱり2人は普通じゃないんだと確信した。
vol.21以来の登場になるmamiko kikuchi
今回は「行き過ぎた愛のおはなし」の5本を紹介。
毎日を生き抜くための強い装備 美しい顔、たくさんのお金、類い稀なる才能、人望や清らかな心
ああわたしは全部ない もってる人羨ましい 喉から手が出るくらい欲しい
私はどうやったって彼らのような闘い方はできない
遠回りになるかも、今のところたいして強くないけど、よわよわな私が私として生きていくにはこれだ
カメラ装備して街へ
A beautiful face, lots of money, exceptional talent, popularity and a pure heart.
Oh, I don’t have it all, and I envy those who do. I want it all so bad I can’t even get my hands around it.
I can’t fight like them no matter what I do
It may be a long way off, I’m not very strong at the moment, but it’s the only way I can live as me.
Equip yourself with a camera and go to town.
セックスについては何も教わっていない。
きっと誤った情報を初めに手にしてしまった人も多いだろう。
そういう人たちが今現在、性に対して前向きな気持ちでいたり、あるいは自分自身の性に関わる部分をいずれ肯定的に捉えらえる事が出来るようになれたら。
服の趣味も髪色も性格も、変わってきた分、何人もの自分がいる。
他人が撮る自分、自分が撮る自分。
A self taken by others, and a self taken by myself.
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Chief editor OSAMI YABUTA / Art direction KENTARO SATO
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