玉川竜、ヒロ杉山をヘッドライナーに迎えた Vol.5です
女子達に写真人気もあって 二人の女性フォトグラファー
ベテラン 小林修士と山田ゴメス
若い高校生の漫画など、様々な作品が集まりました
映画のレビュー、レコードレビューもパワーアップしてます
編集長 薮田修身
写真 玉川竜 ryutamagawa.com
モデル
内藤晶水(SATORU)
横山アユミ(SATORU)
ノグチユキ
YUAN(BELLONA)
haru.
鬼塚唯央(ENERGY)
撮影協力 イイノ広尾スタジオ
special thanks M0マネージメントオフィス
Photo: Ryu Tamagawa ryutamagawa.com
Model: AKIMI NAITO(SATORU) AYUMI YOKOYAMA(SATORU) YUKI NOGUCHI
YUAN(BELLONA) haru. IO ONIZUKA(ENERGY)
Cooperation with photography: IINO HIROO STUDIO.
special thanks: M0 Management Office
小説家の役割は、
下すべき(最低限の)判断をもっとも
魅惑的なかたちにして
読者にそっと手渡すことにある
── 村上春樹 ──
「ヨシダさん……ですか?」
ミカコと名乗る女は、電鉄会社が運営する、大井町駅中央口からすぐそばにある小ぎれいなビジネスホテルのロビーのソファに座っているぼくに、背後からこう声を掛けてきた。
女は30代後半から40代前半あたりの年頃で、身長からも容姿からも肉付きからもメイクにも際立った特徴を見いだすことができない、いわゆる地味めなタイプだった。膝丈くらいの紺のワンピース姿で、小ぶりなサイズの真珠をアクセントとするゴールドチェーンのネックレスが、控えめに胸を飾っていた。ぼくは白いVネックのTシャツをインナーにして、3年ほど前に御殿場のアウトレットのHUGO BOSSで購入した一張羅の黒いスーツを着ている。「できれば遊びにも冠婚葬祭にも使えるものを」という貧乏臭い理由で選んだ、葬式用にはさすがにきびしい、光沢感が強いウール素材でつくられた細身のスーツで、値段は上下総額で8万円するかしないかだったと思う。まだ10月初めの陽気には季節外れで首筋にうっすら汗がにじんでくるが、一張羅なのだからしかたない。
半年前の4月、ぼくがウェブデザイナーとして専属契約していた新進のIT企業がなんの前ぶれもなく倒産し、CEO、COO、CFOの肩書きが名刺に刷られた3人の幹部連中は全員夜逃げした、らしい。
当然、すでに納品した仕事のギャラは振り込まれず、クレジットカードやキャッシングでしのげるその場をしのいでいたものの、ぼくは現金に困っていた。とりあえずは、一週間後に約20万円の支払いが迫っているのだ。
途方に暮れたぼくは気がつくと、渋谷の裏通りに雑然と建ち並ぶ怪しげな貸しビルの壁面に貼ってあった「出張ホスト募集」のビラに記載されている電話番号を半ば夢遊病者ごとくタップしていた。もし、必要経費などと手付け金のような前払いを請求されたり、「研修」と称する面倒な召集を強要されたりしたら、その時点で断りを入れるつもりだった。ビラ上には「週1回でも可」「1日4時間以下勤務」「月収30万以上保障」……と、お決まりのキャッチコピーが、けばけばしくおどっている。
臆病なまでに身構えるぼくの予想に反し、入会はあっけないものだった。前払いも研修もなく、面接すらネットでのやりとりだけで済んだ。「女性の嫌がる行為はやめてください」「連絡先の交換は厳禁」ほか、いくつかの簡単な注意事項に、ここ数日のスケジュールや報酬の受け渡し方法の確認のみで、申告したぼくの個人情報も、プロフィール写真以外はほぼでたらめだ。「こんなに杜撰で大丈夫なのか?」と、別の不安が頭をよぎる。
入会後わずか2日後に、いきなり依頼の電話がかかってきた。
「ミカコさんという女性が、ヨシダさん(もちろん偽名だ)をご指名されたので、明日の18時に大井町駅の○○ホテルのロビーへ来てもらうことは可能でしょうか?」
快活と事務的のバランスが絶妙な、20代にも50代にも聞こえる男性の声だった。
「大丈夫です。ぼく当日黒いスーツを着ていく予定で、年齢は42歳ですけど、見ためは30代だと周囲からはよく言われます」と答えたら、「そうなんですか」と苦笑混じりに流された。肩の力が抜け、ぼくは軽口をつづける。
「新宿の京王プラザだとか六本木のマンダリンとかを想像していたんですけど……大井町って、かなりマニアックですよね?」
「先方様のご都合なので……」
「それにしても、こういうのって本当にホテルのロビーで待ち合わせするんですね?」
「なんだかんだ言って、ホテルのロビーはこういう待ち合わせに最適なんですよ」
「まずは食事に行きますか?」
できるだけの優しい口調でぼくは訊ねてみる。すると、ミカコと名乗る女はうつむきながらかすかに首を横に振り、こう短くささやいた。
「最初からホテルでいいです……」
「上の部屋を取っているんですね」
「いや、歩いてちょっとのところにラブホテルがありますから……」
ロビーを出て、ミカコと名乗る女の半歩あとを、ぼくは無言のままついていく。肩でも抱いたほうが良いのかと迷いもしたが、やめておいた。ぎこちない空気は動かすよりもキープしておいたほうがやや無難だ、と瞬時に判断したからだ。
大井町駅の中央口から西口まで徒歩で移動して、京急の青物横丁駅方面に向かう商店街を通り、ゼームス坂を左に折れる。なぜこのヒトはこうも一目散に、わき目もふらずにぼくをナビゲートできるのだろう、意外とこういうサービスを利用し慣れているのか、それとも住まいが近所なのか……そんなことを考えながら雑多な飲食店が並ぶ横丁を通りすぎてまもなく、車がぎりぎり一台入れるだけの幅しかない小径を、また右に曲がる。閑静で古い住宅街だ。こんなところにラブホが本当にあるんですか、と聞かずにはいられなくなったころ、左側に三階建ての、濃いクリーム色の壁面で窓の上に赤と白のツートンカラーで彩られた雨避けが付いた、まるでヨーロッパの田舎町にぽつんと佇む萎びたペンションのようなラブホテルが目に入り、ミカコと名乗る女がそのエントランスを躊躇する様子も見せずにくぐっていく。一応、ライトアップはされているものの、「この建物内にいるカップル全員がセックスをしている」というラブホテル独特の、ぐらぐらに煮立った天ぷら油が放つ熱気のようなオーラはまったく漂っていない。「OPEN」と「FULL」を青と赤で表示する電飾板は、早秋午後六時の闇空にもかかわらず、見分けがつかなかった。
ミカコと名乗る女は、電鉄会社が運営する小ぎれいなビジネスホテルのロビーで会ったときの印象に反して、均整がとれた滑らかな曲線がなまめかしい、完璧な身体の持ち主だった。肌も吸いつくように纏わりついてきて、しかも貪欲で、すぐさま猛烈に勃起する。
それでもぼくは何故かなかなかいけなかった。ちょうど、一つしか小便器がない公衆トイレで、後方に並ぶ行列を意識しながら用を足さねばならない感覚に似ている。射精が“強要”を通り越して“義務”と化している初めての経験に焦り、戸惑っているのかもしれない。
もはや集中力を欠いた状態で腰を振りつづけるぼくは、なにか難しいことを考えて、それを猥褻へと結びつけてみようと試みた。
100万年前に生きていた人類は、鋭く尖った石器を代表とする“道具”を使用していたにもかかわらず、大きな獲物を狩ることは稀で、おもに植物を集め、昆虫を捕まえ、小さな動物を追い求め、他のもっと強力な肉食獣が残した死肉を、たとえばライオンがキリンを倒しハイエナやジャッカルがその残り物を漁ってからの“おこぼれ”を食らっていたという。
石器を代表とする“道具”の最大の用途の一つは、骨を割って中の骨髄をすすることだったのだ。長年、このように食物連鎖の中間を占めていた人類が頂点へと飛躍したのは10万年前のホモ・サピエンスの台頭に伴っており、その道のりにおける重大な進化とは「火を手懐けたこと」であった……道具に頼ってインターバルを……と、ふいにアイディアが浮かんだが、あいにく道具は持ち合わせていなかった。部屋の設置されている小型の冷蔵庫のような自動販売機で数種の道具は販売いてはいるものの、とてもじゃないが行為を中断してそれを購入する決断は、ぼくには下せない。あきらかにタイミングを逃している。また別の難しいことを懸命に脳内の引き出しからまさぐる作業を繰り返す。
ボノボは、まずメスが、相互に尻と性器をこすり合わせるような、ホカホカと呼ばれる性的接触をしたあとで獲得した蜂蜜を順番に分ける。争奪の競争や衝突は起こらない。食物分配の主導権はメスが握っている、オスには余剰分が最後に分配される。なんて素晴らしい世界なんだ……でも、やはりだめだった。空白となった思考のすき間を、逆に生理的現象の我慢を強いるシチュエーションの記憶がじわじわと潜り込み、やがて一つの大きな流れへと変わっていく。
とある週末の夜、とある男友だちの家へ遊びに行ったときの話だ。
ささやかな宅飲みパーティーがあるということで、ぼくはそこに急いで合流しようとしていた。その日は別の飲み会にも顔を出してきた直後で、最寄りの駅に着いたころは、すでに夜の11時を過ぎていた。
その彼の家は、駅から延びる真っすぐの道沿いにあって、Googleマップを使わずとも間違えようもなく、だが徒歩だと15分はかかってしまう、距離的には微妙な場所だった。最終のバスがなくなったのか、駅前ロータリーのタクシー乗り場には行列ができている。
酔い醒ましにいいな、と歩いて行くことにした。ところが、駅を離れて8分ほど経ったあたりで、ぼくは急激に猛烈な便意をもよおした。駅に戻ってするべきか、その彼の家まで我慢するべきか、判断に迷う地点である。周囲にコンビニなどは見当たらない。十歩進んで、やっぱり駅前に戻ろうと結論に至った。万一漏らししてしまった場合、目撃者は知り合いより、見知らぬ人のほうがマシだろう……。
方向転換と同時にプヒ、と尻が絶望の音を鳴らす。肛門の周辺は、あきらかにウエットさを帯びている。さっきの飲み会は焼き肉だった。ぼくは肉にあまり火を通さず、ほとんど生焼けの状態で口に運んでしまう。マッコリも、しこたま飲む。だからぼくは焼肉屋に行けば決まって腹がゆるくなる。
もう駅までは持たない、と観念した。まわりを見渡してみると、うしろの方向、つまりその彼の家がある方向に小さな葱畑があった。23区内とはいえ、まだ田園風景ののどかさを残した地域だ。街灯の照らす光は弱々しく、注視しなければ人が葱に混じっていても気がつかない……かもしれないぐらいには、薄暗い。
肛門を引き締めたつま先走りでぼくはその畑に近づき、申し訳程度に装備されている防犯ネットをくぐって不法侵入する。そして、震える手でズボンとパンツを下ろして、規則正しく整列した葱に同化するかのようにしゃがみ込み、一気に用を済ます。ほ~っ……とつく長い一息は、まるで毛穴中から染み出るようだった。
その彼の家へと向かう一本道は、まばらとはいえ、何人かの人が歩いている。
「ねぎだ! ねぎになるんだ!!」
丸出しの尻を突き出しながらぼくは自分にこう念じ、人通りが途切れるのをじっとやり過ごす。
5分ほど経って、ようやく人の気配がなくなったのを確認したあと、次にパンツとズボンをしゃがんだまんま確認する。幸いなことにズボンにまで被害は及んでいない。しかし、パンツは相当やばいことになっていた。その場で脱ぎ捨てていくしかなかった。
駅まで戻って、駅前のローソンで新しいパンツを買い、トイレを借りて履き替えてから、ふたたび友人の家へと向かう。葱畑に近づくにつれ、やるせない罪悪感にぼくは襲われる。畑の前で手を合わせ、頭を下げる。肥やしになるから、ごめんなさい……。
パーティーは朝までおおいに盛り上がり、その彼の自宅のソファで目を覚ましたのは朝の10時すぎだった。やり残している仕事があったので、まだ寝ている者たちを起こさぬよう、そっと家を出る。
仕事をするにはもったいないほどの晴天だった。夜には気がつかなかったが、整備された公園、大きな庭を構えるお屋敷……と、至る処に緑がいっぱいで、空気も心なしか、美味しい。
約12時間前の忌まわしい出来事もすっかり忘れ、清々しさに浸りつつ散歩気分を楽しんでいると、また昨日の葱畑へとたどり着く。葱の群列のなかに、段ボールで作られた一本の立て札が立っていた。その立て札にはこう書かれていた。
「ココで大便した人間は地獄に堕ちろ!」
……辛うじて勃起を保っていた性器がとうとう萎えてき出している。とにかく一刻も早く家に帰りたかった。家には恋人が待っている。男と上手に付き合う術を知らず、その些細な会話のやりとりを懸命に学ぼうとする、おかえりを言い慣れない女だった。
HARD CANDY
NED DOHENY 1976
言わずと知れたAORの大名盤であるこの一枚、僕が出会ったのは中2頃だから1987年辺りだろうか、、このカラッと晴れ渡った空と水を浴びてる男。なんとも爽やかではないか。きっと音も爽やかに決まってると想像して買って聴いてみたら案の定西海岸の爽やかな風を感じられた。僕が一番最初にレコードジャケットというものを意識した一枚である。後に僕はCDジャケットなどのアートディレクションなどを手掛けることになるのだが、確実にこの一枚が原点である。このカバーはMoshe Brakhaが撮っていて、彼は当時CBS SONY のアーティストをよく撮っている。彼の色が一発でわかるデイライトシンクロが大好きで一番のお気に入りのフォトグラファーです。
WATERCOLORS
PAT METHENY 1978
1978年にECMから出したセカンドアルバム。メセニーとの出会いも前述したネッド・ドヒニーと同じ頃だったと思う。当時ベストヒットUSAで最新作『STILL LIFE(Talking)』からLast Train HomeのMVが流れていてU2のWith Or Without Youとチャートを競っていた記憶がある。なんとも洒落たヒットチャートである。僕はLast~にハマりレコードを買いに店のメセニーの棚を見ていた時にWatercolorsのジャケに惹かれ、最新作ではなく当時から10年近く前の作品を購入することになった。本当に綺麗なジャケットで中に詰まってる音も本当に綺麗な音で衝撃を受けた。
ECMと言えば、総帥マンフレート・アイヒャーが掲げる「沈黙の次に美しい音」がコンセプトになっており、そのアートワークも一貫している。
デザイナー、ヴォユルシュ夫妻に写真家ディーター・レームが有名であるが、この作品はDieter Bonhorst(D) / Lajos Keresztes(Ph)の作品
IN THROUGH THE OUT DOOR
LED ZEPPELIN 1979
ヒプノシスが手掛けた素晴らしいジャケットデザインは沢山あるが、その中でもコンセプト的に気にってるのがこのツェッペリンにとって最後のオリジナルアルバム「In Through The Out Door」だ。このアルバムは6種類のデザインが用意されていて、茶のクラフト紙の袋に入って売られていたので購入して開けるまでどのデザインかわからなという仕掛けである。白スーツの男の周りにいる6人の人物、それぞれからの視点で撮られた写真が都合6種類のジャケットデザインになってるわけだ。因みに僕は4種類まで集めて今の所放置状態である。
THE NIGHTFLY
SDONALD FAGEN 1982
このアルバムを簡潔にまとめるのは困難を極める作業である。考えうる全ての細部まで計算し尽くされた現代最高の総合芸術的コンセプトアルバムだと僕は思うのだが。。。当然ながらジャケットデザインにも色々なギミックが仕掛けられている。(今回は音の事には触れない事にしよう)壁の時計が4時9分3秒で深夜のラジオ放送であり、レスターナイトフライに扮するフェイゲンが持っているタバコがチェスターフィールドキングサイズ、ターンテーブルがPara-Flux A-16でリボンマイクがRCAの44DX、そのタンテの前に置かれてるレコードがソニーロリンズのコンテンポラリーリーダーズという全て50年代の物で埋め尽くされてます。George Delmerico(D)/James Hamilton(Ph) 詳細はまた今度。。。。
DOWN ON THE ROAD BY THE BEACH
STEVE HIETT 1983
イギリス人写真家でギタリストであるスティーブ・ハイエットが1983年に出した唯一のアルバム。彼の写真を採用してるアルバムでダントツに愛してるのは、佐藤博の「AWAKENING」だが、アルバムで使われてる写真が一番好きなのはこの本人のアルバムなので今回は本作を紹介したいと思う。彼の写真はよくギイ・ブルダンと比較されたりするが僕は断然ハイエット派である。この作品には加藤和彦やElliott Randallも参加している日本企画なんですよね。夏は過ぎ去ってしまったが、気だるい夏の午後に聴きたいアルバムNo.1
CLUB SURFBOUND
SHOGO HAMADA & THE FUSE 1987
僕が13歳の時に発売されたこのアルバム、発売日に新星堂へ買いに行ってから31年、ずっと好きで聴いている。このアルバムだけハマショーが作曲しておらず(二人の夏を除く)、ハマショーバンドのThe Fuseのメンバーが作曲・アレンジを手掛けていて飛び切り都会的でAORな仕上がりになっています。アートワークは長年タッグを組んでいる田島照久で、この他にも南佳孝の「モンタージュ」や来生たかおの「ロマンティック・シネマティック」のジャケットが特に格好良い。尾崎豊のセブンティーンズマップのジャケも最高だな。。。
direction,model:菊村詩織
bodypaint,photo:十二の鍵
painting
p.1~14:菊村詩織
p.15~28:十二の鍵
菊村詩織/Kikumura Shiori
十二の鍵/ 12keys
フェチっていうととてもポップでユニークな響きなのに、「フェティシズム」の響きになったとたんにとても危険で秘めやかな音に聞こえてくる。
わたしはまだ何か特定の部位やモノに固執した事がないけれど、我を忘れて倒錯できる何かがあるって動物的で少し惹かれてしまう。
人格がフェティシズムをつくるのか、それともフェティシズムが人格をつくるのか・・・一体どっちなんだろう。
空気人形
公開年:2009年
製作国:日本
是枝裕和監督
空気を入れてもらう。するとみるみる身体が膨らんで、男たちは彼女を好きな形で愛で始める。
「私は空気人形、私は性の代用品」
ある日「にんげんのおんなのひと」になった空気人形は自らの足で歩き、笑い、そして恋をした。
わたしたちは世界に無秩序に散らばってるようで、ほんとはゆるく繋がっている。
けれどもそんな繋がりをあえて遮断して、代用品に癒しを求めるようになった人間たちと、身体いっぱいに愛する人で「生」を感じようとする空気人形との対比を見せられて、ちょっとだけ切ない気持ちになった。
薬指の標本
公開年:2004年
製作国:フランス
ディアーヌ ベルトラン監督
奇妙な標本ばかりが溢れている標本製作所で働く主人公イリスは、初老の標本技師に恋をする。
退廃的で、官能的な小川洋子ワールドがフランス映画と驚くほどマッチして、007/慰めの報酬でボンドガールを演じたオルガ キュレリンコの透明感のあるオールヌードや、静謐な標本製作所の映像が印象的。
標本技師はイリスに美しいヒールの靴を与え、それを毎日履いて欲しいと懇願する。
靴だけで表現される愛の物語はとてもエロティックで上品。
まるで彼の標本室の中に囚われてしまったような恐怖心と喜びが合わさったイリスの複雑なゆらぎが伝わってくるようで、いつ観てもドキドキしてしまう。
ラースとその彼女
公開年:2007年
製作国:アメリカ
グレイグ ギレスピー監督
「トラウマで家族以外と話すことのできない青年ラースの恋人ビアンカはなんとアダルトサイトで売られていたリアルドール。
LA LA LANDでもおなじみのライアン ゴズリングが少しふっくらした輪郭と優しいタレ目の愛おしい瞳で、シリコン製のリアルドールを見つめるものだから、こんなに愛されるリアルドールのことがちょっと羨ましくなってしまう。
彼が世界とつながるためにはこのビアンカが必要で、彼を優しく見守る周りの眼差しも必要で、フェティシズムからもこんな風に温かいラブストーリーが生まれるんだから人間ってやっぱり面白い。
パフューム ある人殺しの物語
公開年:2006年
製作国:ドイツ/フランス/スペイン
トム ティクヴァ監督
匂いフェチって言葉はよくあるけど、その内容は様々。
香りは永遠でないから美しく、儚いからこそとても崇高な芸術のはずなのに、この物語の主人公ジャンは乙女の純潔の香りを永遠に閉じ込めようと人間の域を超えたグロテスクな行為を繰り返す。
フェティシズムは悪いことでは無いけれど、独りよがりに欲望だけを追い求め、節度を超えたその先にあるのは人類の終わり。世界の終焉。
どんなフェチ行為もあくまでもお互いの同意の元で・・・ね。
スイートプールサイド
公開年:2014年
製作国:日本
松居大悟監督
「ねえ、私の毛を剃ってくれないかな?」
毛が生えなくて悩むツルツル男子と毛深に悩む女子の青春ブルース。
コンプレックスって、他の誰かにとってはたまらなく羨ましいものだったりするけれど、それを秘密に分かち合える関係ってなんだかエロいよね。
純粋に毛深を悩む彼女との秘密の放課後に、だんだん妄想が膨らんで暴走して、ブレーキが止まらなくなってしまった彼の頭の中にちょっと笑ってしまった。
剃毛フェチなんて実際あるのかないのか分からないけれど、あまりに純粋にジョリジョリタイム一直線になってしまったピュアボーイの痛々しい青春を温かい目でしかと見届けてほしい。